2013年8月6日火曜日

This is my New York city images.これが私のニューヨーク。

 I have been New York U.S.A. four times in 20th century. The first time visit was in 1975 pre-year of a bicentennial anniversary. Long long ago, when I was school boy, my images of New York City was made by Symphony No. 9 composed by Dvorak, named "From the New World". But each time when I visit this metropolis, I felt different something. In the meantime, New York was completely the foreign ground.

  ニューヨークへは4回ほど1900年代、つまり20世紀に訪れている。最初は1975年、建国200年祭バイセンテニアルの1年前。サンフランシスコ⇒セントルイス⇒ナッシュビル⇒ワシントン⇒ニューヨーク⇒ラスベガス⇒ロサンゼルス⇒ホノルルの順にVAN宣伝部・販売促進課メンバーとして出張の折だった。入社して2年目、21日間の長旅、まだ1ドル365円の時代、持ち出し外貨枠も存在した時代だ。
 
 

 外貨枠が少ないので、新品のCANON一眼レフFTb+望遠ズームレンズをL.A.で高く売って、持ち出した外貨より多くの外貨を稼いで戻ってきた。ラスベガスのホテルから空港へ行くバス待ち30分間のルーレットで300ドル儲かったのと合わせてアメリカ大陸の印象は決して悪くなかった。

 話がそれたが、ニューヨークの画像・ポジフィルムが200カットほど残っていたのでデジタルスキャンしてみた。いくつか紹介したい。観光写真的なモノはあまりないが、当時は日本には無い空気と匂いを撮影していたのだろうと思う。まだ27歳の時の画像だ。

From the east side of Manhattan.
 1900年代初頭のビル群の間から摩天楼の代名詞エンパイア・ステートビルを撮影したもの。ドボルザークが「交響曲・新世界より」を作曲したくなった理由がほんの少し判るような気がした。もちろんチェコ人のドボルザークがニューヨークに居た1890年代にはこのビルはもちろんクライスラービルも無かった。日本で言えば明治時代半ば、アメリカも西部では鉄道は走っているものの映画「シェーン」の頃だ。まだガンマンが居た時代。話がまた飛ぶがあのシェーンは本当は映画の最後で馬上で死んでいるというのが今や一般常識に成りつつある。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3

From J.F.K to New York City traffic.
ジョン・F・ケネディ空港からマンハッタンへの交通渋滞。既にビルの壁にペインティングなどが有った。
 
The Pretty garbages It' a same as Tokyo.
何故かこういう外国の匂いのするモノを当時は盛んに撮っていたようだ。この後VANからデビューしたブランドSCENEのポスターの雰囲気に近いかもしれない。
 
Long-distance bus made by duralumin. This is pure American image.
これもジュラルミンの金属感を撮っているのでバス全体の画像は残っていない。ジュラルミンと英文字アルファベットが印象深かったのだろう。日本のように車の進行方向から読むように逆に文字を書いたりしない、いつ見てもあれはおかしいと思う。気持ちは判らなくもないが、通り過ぎる一瞬に読んで理解できなきゃ意味が無いと思うが。