2013年12月8日日曜日

65歳の誕生日になって思う事。Today I became sixty five years old , and I think these things.

 1948年12月8日生まれの自分は今日で65歳になったようだ。今まで誕生日が近づくとNHKその他のメディアが太平洋戦争の真珠湾攻撃の場面を繰り返し流したり掲載してきた。だから自分の誕生日のたびに戦争というものが付いて回る。生前我が母に家族全員でたまにはハワイに行こうと思うが・・・と切り出したら「俊郎、お前ハワイって真珠湾だろぅ?」と真顔で諌められたのを覚えている。

 何事にも几帳面で生真面目な性格だった我が母は、私がさる皇族様(昨年逝去された)にスノースポーツ関連の仕事でご縁が出来た時、殿下が急用で拙宅の母屋の親の方の電話に直接掛けてこられた事が有った。私は不在で母が取り次いだが皇室大ファンの我が母は私が帰宅するとすっ飛んできて「俊郎!そこへお座りっ。先ほど皇族の名を騙る不届き者が電話を掛けてきたが、説明をおし。」とえらい剣幕で怒られた事があった。
 事の次第を話し、今後もあるかもしれないので失礼の無いようにと頼んだら納得した様子だったが、「俊郎、我が家の電話はまだ黒いダイヤル式の旧式だが、こんな電話で皇族様に失礼じゃないかい?」と言ったのには驚いた。


 話が逸れたが、自分の誕生日に思う事は、人間まだ来ていない先の日程は長く感ずるが、過ぎてしまった過去の日々はあっという間に感ずる・・・という事。次の東京オリンピックは7年も先だという事で遥か彼方に感ずる。その時まで命が有るかどうかも判らないと思う人も多いだろう。65歳になれば誰しもそう思うのが当たり前だ。しかし、今から7年前の事はつい昨日の事のように感じてしまうものだ。

 もう一つ、ちょっと身が引き締まる考え方が有る。時間を年月で考えず、日数に換算して考えるのだ。1年あるいは12か月だと思うから時は長く感ずる、これは一種の錯覚で、1年を365日、10年を3650日と考えてみると良い。人間平均90歳まで生きるとしても90×365日=32,850日だ 今65歳の自分は既に23,725日過ぎてしまって残り9,125日しかないという事に成る、あと1万日無いのだ。これは身に凍みて残された日々を有効かつ充実させねばならない、ドキッとさせるに十分な数値だ。1万という数値を実感するには1円玉を縦100個、横100個並べてみるが良い。
事の重大さはそれで判る。日々を大切にしなければ死ぬとき後悔しよう。

 重たい話になったが、実は今までは前振りで、この重たさを打破するのに野鳥観察が野鳥撮影が如何に良いかを述べたいのが今日の本当の所なのだ。

 人間だれしも50歳付近から体力・容姿・体型・健康に個人差が出てくる。これはDNAの成せる業で個人の切磋琢磨ではどうしようもない天命に近いモノだ。しかしその中で「動物」としての人間を健康に保つための努力をすれば適正にこの体力・体型・健康は保てるものだ。昨日、北九州小倉時代の小学校の同級生の女性(もちろん65歳)が声楽リサイタルをやるというので行ってきた。あのもの凄い声量、エネルギー!半端ではなかった。切磋琢磨の典型的な成果だろう。


都会に有っては元々この歩くという事を中心とした切磋琢磨が非常に難しい。エスカレーター等の歩行補助施設のお蔭で歩行努力をしなくなったのがその理由。しかし最近20年は地方の方がこれが難しくなっている。車の発達が理由だ、一家に一台の時代を飛び越して一人に一台の時代が当たり前になってしまった。東京では駐車場スペースが無いので永遠にそうはならない。したがって歩かなくなった事が喫煙や大酒飲酒を抜いて健康阻害の一番の原因と言われて久しい。

 東京で郊外の自宅から都心での仕事、あるいはデパート巡り、または美術館廻り等の用事を済ませて帰宅すると、大体1万歩以上は歩いている。約7kmだ。しかし毎日会社勤めをしていた現役時代と異なって、リタイヤ後にこれを欠かさずというのは交通費は掛かるし外食費も掛かるので少々難しい。

 それを補うには何が良いか?もちろんウォーキングで良いのだが、ただ歩くというのは余程精神力が強く無いと難しい。毎日ウォーキングすればマイレージ・クーポンが溜まって特典が有るとなれば喜んでそうもしようが、ただ健康に良いのだから・・・では億劫な人が多かろう。だから毎日歩いている人は私は非常に尊敬する。

 そういう意味からすると、雨だろうが雪だろうが毎朝球磨川土手をカメラを提げて野鳥を観察しながら歩かれる人吉の辻医院の院長先生、辻正彦氏は理想的な生き方をされている方だと思う。なかなか真似できる事ではないし、尊敬に値する。

日本一のヤマセミ視認頻度を誇る辻先生。


 しかし、野鳥の観察・撮影を始めてみて如何にこの探鳥、生態観察、野鳥撮影が健康に良いか身をもって感ずる今日この頃。1日1万5千歩程度は普通に歩くし、常に探鳥モードで遠くを見ているので視力は上がる。川筋にヤマセミを追いかける私は聴力がずば抜けて良くなった。特に雑音の中での音の判別力が20歳代になった。これは球磨川のせせらぎの中でヤマセミの声を待ち続けた成果と言えよう。

いつもの球磨川本流ポイントでヤマセミ撮影中の筆者。

 一方で両腕の筋力が付いた。重たいレンズを終日抱えて野鳥撮影を行う事で一時は両腕とも上腕骨外側上顆炎、いわゆるテニスエルボー(=テニス肘)になって雑巾すら絞れなくなったが2週間で完治した後は非常に腕っぷしが強くなった。
 特に今年はダイエットに努力し、10月に77kg有った体重が誕生日の今日は72kgになっていた。5kg減量できた、という事は長く歩く際に膝やくるぶし関節への負担が減るという事で腰痛にもならないという事。

 ダイエットの方法は毎日100g単位の体重推移グラフをつける事、間食の御菓子を減らす事、夕飯は18時に摂取し、それ以降寝るまでは飲み物だけにする事。これだけでサプリメント摂取や運動量を増やしたりはしていない。要は100gでも下がったら元に戻したくないという心理状態に自分を追い込むのが勝因か?

球磨川堤防で撮影仲間と川魚漁師の方。

 今回は、野鳥観察撮影で長い事球磨川土手や阿蘇の山の中を歩く事、あるいは江津湖の周回道路をカメラを提げて歩く事が如何に健康に良いかを言いたかったのだ。65歳の誕生日に何を考えたか?の第1弾をこれで終わる。勿論続きがあると思って頂いて良い。