2014年2月25日火曜日

「団塊世代が観たソチ・オリンピックの報道」 

 開会式は2月7日だったが、実質上2月6日に始まった冬期ソチ・オリンピックが昨日終了した。この間時差のあるエリアでの熱戦をリアルタイムで視た方々は寝不足その他でしばらく体調がおかしいのは致し方ない事だろう。2年前のロンドンオリンピック時にはあまり感じなかった「ある事」が今回非常に気に成ってしょうがなかった。オリンピックのプログラムが進むにつれて日を追ってその「ある事」は大きく気に成って行った。

 その「ある事」とは冬季ソチ・オリンピックに関する日本におけるマスコミ・メディアの報道姿勢・報道内容そうして報道手法だった。夏のオリンピック種目に関して自分がしっかりと自信を持って批評・評価できるのは自分が今まで実際にやって経験してきた陸上競技のハイジャンプとサッカーだけだった。
 しかし、冬季オリンピックに関して言えば、アルペンスキー、アルペンスノーボード、アイスホッケー、クロスカントリースキーについては長年自分で選手として競技にも参加し、指導者資格も取り、普通の方より少しは判っているつもりだ。同時に長野オリンピックでスノーボード競技役員(プレス報道担当)として競技を運営してきた経験から、今回ソチ・オリンピックに関するメディア・マスコミの報道に対しては、少しは詳しい批評・評価を出来ると信じている。
自分のスノースポーツ全てに関する師匠 故寛仁親王殿下と志賀高原横手山春合宿で左端筆者

野沢温泉村でコルチナ・オリンピック日本代表杉山進さんと全日本スキー連盟丸山庄司さんと1994年 真ん中筆者

飯山でのビルケバイネル・スキー大会クロスカントリー10kmクラス出場 1996年

北海道サホロでのスノーボード大会運営中 1998年

アイスホッケー・ヴァンガーズ東京都1部リーグ時代1976年(公式戦得点記録あり)左ウイング

 これらの画像は決して自分のスキー、スケート歴を自慢しているのではなく、ソチ・オリンピックに関するメディア・マスコミ報道を批評・評価するに足る資格があるか否かにおいて筆者の背景を知って頂きたかったので紹介すると云う事を御理解いただきたい。

まずは基本的な話から。

 前々から考えていた事だが、テレビを中心にあらゆるメディアを使って視聴者がスポーツ競技を観戦し選手を応援し応援チームを評論し好き勝手を言うのは当たり前の事自由で、日本におけるスポーツと云うジャンルの底辺拡大、底上げに大いに貢献していると思う、これはちょうど横丁の八っつあん・熊さんが大相撲の若乃花と栃錦を応援していた昭和30年代からちっとも変っていない、スポーツを取り巻く極めて日本的な一般的な姿だと思う。

一方で、そうやってメディアを通じて日の丸を背負った日本のアスリートを応援する殆どの人々はそのスポーツをやった事が無いだろうと思う。バイアスロン、リュージュやボブスレーに至っては誰一人いないだろうし、フィギュアスケートにしても、都内のスケートリンクや富士急ハイランドのリンクで滑った事は有ってもクルッと一回転なんて転んだ時にしか経験無いと思う。
 高齢者を含めて一番経験者が多いと思われるアルペンスキーにしても旗門を通過するような競技経験は全人口比にして1万人に一人程度のモノだ。

 そのような、自分自身では出来ない、やった事が無い競技種目を応援する姿はアスリートが仲間を応援しているのとは少し違って、テレビを通じて贔屓の政治家や歌手を応援するのに似て居ると思う。特にオリンピックの場合は非常に一時的な事だし、決してこれは日本だけの事では無く世界共通の事だとも言える。同時にテレビを通じてあるいはスタジアムに行って生で贔屓チームを応援するサッカーや野球はこれのさらに発展した形態だと思う。

 しかし、しかしだ、メディアでこれを報道する立場の人間はこれと同じレベルであっては困る。メディア・マスコミの人間はそれを仕事として行う事で責任もある上、それによってお金も稼いでいる。いわばプロだろう?プロであればプロとして行うレベルが有ろうと思う。そういう意味で言えば日本のメディアの今回ソチ・オリンピック報道は酷いモノだったと言える。此処からが一番今回ソチ・オリンピックで感じた重要な部分だ。

 まず、最初に言いたい事が有る。日本のメディア・マスコミ界においてスポーツのジャンルは何故「芸能・スポーツ」として、まるで違う領域の芸能と一つのジャンルに括られているのだ?歌やお笑いやお色気番組やドラマと同じジャンルに、何故金メダルを目指すアスリートの闘うオリンピックが入っているのだろう?こんな国世界を捜しても他にどこも無い。これは日本がまだまだ発展途上でメディアの中心が新聞だった頃の紙面担当領域の悪しき習慣をそのまま引き継いでいるからなのか?それが伝統なんだからしょうがないという人も居るかもしれないが、メディアの中心がテレビに移ると同時に何故メディア・マスコミ界は変化出来得なかったのだろう?1964年のあの東京オリンピックを期に、その後の時代と共にスポーツの存在は日本人そのものの中で大きく変化したはずだ。決していつも芸能界と一緒に歩んで来た訳ではあるまい?スポーツ・アスリートと芸能人、放送関係者の結婚が多いからなのか?

 今回のソチ・オリンピック報道を観ていて、あのNHKまでもがメダル・メダルと騒ぎ立て、特定の選手に焦点を当て期待を盛り上げ事前の放送を構成していた。他の民放もそれに追従し、金メダル確実、あるいはメダルの色は何色か?実力は既にメダル圏内などと報じた、スキージャンプ女子・高梨沙羅、スキージャンプの葛西紀明、フリースタイルスキーモーグル女子・上村愛子、女子フィギュアスケート・浅田真央、男子フィギュアスケート羽生結絃、更にメダルを期待できる種目として我々がテレビその他のメディアで開会前にすり込まれたのは、女子カーリング、女子アイスホッケー、スピードスケート男子だったが結果はどうだ?予測通りだったのはスキージャンプ男子のレジェンド葛西と羽生だけではないか?

 海外でもメディアが過剰な期待を盛り上げる為、責任感の強い真面目な性格の選手ほど目に見えないプレッシャ―で実力の半分も出せない状況に陥る事が多いとの報道がある。これには国民性もあろうが、今回浅田真央の一時的失速に関してドイツの同種目2大会金メダリストカタリナ・ビットが浅田はメディアの過剰報道が潰したと明言している事からも本当の所だろう。

 あるいは、経験豊富な選手でなくても思う通りの結果が出なかった時のメディアへの返答があまりに優等生的で上村愛子、高梨沙羅など聴いていて胸が痛くなったケースも多かった、何であそこまで言わせなければいけない?自分が今思う通りの成果を出せずに辛く落ち込んでいる時に今後の事など言えるか?もっと選手はメディアになど気を使わずノビノビと振る舞えるようにして良いのではないのか?メディア・レポーターの猛省を促したい。


 一方で、一般的には全然選手の名前すら知らなかったのに堂々とメダルを獲得した、男子スノーボードハーフパイプの平野歩夢、平岡卓、スキーノルディック複合の渡部暁斗、スノーボード女子・パラレル大回転の竹内智香、スキーフリースタイルハーフパイプの小野塚彩那。これらのメダリストたちを候補として挙げたメディアが幾つあった?日本のメディアでこれらの結果を反省し詫びた所があったろうか?この辺りがメディア・マスコミが厚顔無恥と言われる所以だ。

 事前の取材はいったい誰がどのように行ったのだろう?その種目に精通した担当者がきちんと行ったのだろうか?いや、していまい。していたらこれほどひどい結果にはならなかったはず。基本的に普段の世界選手権には各種目各国出場制限枠が無いため本当に実力のあるトップクラスのアスリートが集まる。
 各国代表であれば出られるオリンピックには出られても世界選手権にはジャマイカのボブスレーはレベルに達していないため参加できないのだ。  
だからそこでのメダルは実はオリンピック以上の激戦を経て獲得したメダルなのだから、連戦連勝だった高梨沙羅などは、本来オリンピックで色は別にしてメダルを獲れて当たり前なのだ。しかしあまりに東洋人が強いとヨーロッパ人種はあの手この手でヨーロッパ人種が勝てるようにルール改正、本番時にあの手この手でメダル獲得妨害に来る。特にスキージャンプにおいてのこの事は日本人誰もが良く知っている事だろう。断っておくが今回の高梨選手の場合がそうだと言っている訳ではない。

もう一つ、オリンピック開催中のテレビの報道姿勢が気になってしょうがなかった。元気だし決して個人的には嫌いではない激情型の松岡修造のレポート、コメント。彼のレポートは英語も堪能だし、他の局付き女子アナウンサーのまるで芸能レポートの様なアスリートへのアプローチより総合レポーターとしてははるかに納得のいく内容ではあったが、彼は元来テニスプレーヤーだろ?テニスのウインブルドン大会に元スキー選手がコメンテータとして出てきたり、増田明美が出てきて何も言わないでいられるか?松岡修造はスキーやスノボはどの程度出来るのだ?今までオリンピックに出た元アスリートは今一体どうしているのだろう。もっと的確な人間はいないのか?スノボのハーフパイプの解説者を尾形修氏がやっていたが彼は長野オリンピックで一緒に運営方を行ったいわば仲間だが私と一緒でスノーボードはアルペンの選手でハーフパイプなど一度も入った事もない人間だ、何故今回日本がオリンピックに派遣した種目の元選手を集めてコメンテーターにしないのだろう? 
今回の期間中何処かで観たがあのトリノで唯一の金メダリスト荒川静香や先輩の村主章枝が浅田真央の滑りを解説したコメントやオリンピックフィギュア2連覇のドイツのカタリーナ・ビットがドイツのメディアで行った浅田真央へ解説・評価は、相当高度で判りやすく誰も異論を唱えられない確たるものだった。それはそのコメンテーター自身がオリンピックを経験し、同じ立場の浅田真央を自分に置き換えて評論できるからに他ならない。
逆に民放の朝のワイド番組で前日のオリンピックの様子を報道し、スポーツには何の関係もない訳の分からないコメンテーターがワイワイガヤガヤ好き勝手を言い合う姿は一番腹が立った。そのスタジオと現場ソチの会場を結んで選手の現状あるいは競技直後の姿を報道しているが、何故競技そのものの勝因や敗因などを訊かずに涙の理由や応援してくれた人への感謝コメントばかり求めるのだろう。

スポーツを実際にやって来た人間としては、もっと選手寄り、アスリート寄りの質問としてコースコンディションやワックスが合った・合わなかった、もっと長い板を使用すべきだった、スケートのブレードの溝が深すぎた・・などのスポーツ報道としての専門性と深さが欲しかった。CNNでのアメリカ選手に対するインタビューの専門性を視る限り情けないが日本のスポーツ報道は半世紀以上も遅れていると思う。  
NHKだけでも良い、たとえば今回のソチ・オリンピックの場合など日本人選手出場種目すべての経験者をヒナ段に並べ、その種目別担当者にして、日本代表を事前に調査・インタビューさせて知識武装し、本番時にその選手のセコンド、あるいはマネージャーくらいのつもりでコメントを出させたら如何だったろう?今まで日本でこのような事を行っているのは女子マラソン解説の増田明美を筆頭に先出の荒川静香・村主章枝位なものだ。そういうスポーツに特化した報道姿勢が日本のメディア・マスコミに無いのは非常に情けないと思った。

何故か日本のメディアはスポーツのメダルに隠れた美談や涙物語ばかり一生懸命取材させるようだ。そういのが無ければでっち上げかねない程の異様さだ。視聴者は本当にそういうものばかりを期待しているのだろうか?オリンピックほどの大会に成ればすべてのアスリートに苦労話や涙話は存在するに決まっている。それはそれでいい話だと思うしオリンピックだからこその事なので、あればあるだけ知りたいとは思う。しかし努力話は自分がその身になれば当たり前の事だろう、黙っていてメダルが天から降って来る訳がない。やはり勝負の世界の国際大会なのだから本質をまず前面に出してほしいと思うのだが間違っているだろうか?

一方で、日本のメディア・マスコミはオリンピックとなると何故これ程特別扱いして浮足立つのだろう?取材陣の方が出場アスリート以上に平常心を失っているとしか思えない。今回一番小気味良かったたのはスノーボードハーフパイプで銀メダルを獲った平野歩夢が表彰式で一段高い所からつぶやくように言ったコメント「なんか、オリンピックっぽくて良いっすねぇー。」だった。普段米国のスポーツ専門チャネルESPNなどで報道されているプロの世界大会X-Gameなど本当のレベルの高い大会で常時上位に名を連ねている余裕から出る「オリンピックだけが大会じゃないんだよ」の平然とした態度。これが一番スカッとした。

一方でJOCの竹田会長が指令を出したかどうか知らないが、手に取ったメダルを噛む仕草、あの品の無い仕草もすべてメディアが要求するモノだ。やめる様に指示したのであれば竹田さん全く正しい。随分前のオリンピックで外国選手がメディアの要請でしたポーズを日本の女子マラソン高橋尚子がメディアの要請で真似して見せたのが妙な「お約束」に成ってしまっていたが、今回も懲りないメディアは要求しただろうが日本選手達はだれもやらなかった。やっと正気に戻った訳だ。
シドニーでメダルを噛もうとする高橋尚子 Yahooフリー画像

 メディア・マスコミ批判ばかりではなく、今後日本がオリンピックで良い成績を収めて行くにはどうしたら良いかをここで述べたいと思う。2つの大きなポイントがある。まずはお金。各国のオリンピック出場選手強化費を大まかに比べてみるとドイツ274億円、米国165億円、中国120億円、英国120億円、韓国106億円、そうして我が日本27億円。それぞれの国の人口比率などもあるが、基本的な選手強化費のベースの差がこれほどある事を皆が知っているだろうか?メディアは報道しているだろうか?日本は強化費を増やせばもっと上位に行けると云う事なのだ。2020年のオリンピック関係者面している森喜朗元首相は選手が大事な所で転ぶなど誤解を招くような事を言っていないで一円でも多くの選手強化費を関係者に働きかけて稼ぐべきではないのか?

次に選手だ、世界大会を転戦し続けて、英語のインタビューに慣れている高梨沙羅選手ですら今回は国旗を上げられなかった。しかし、スノボのハーフパイプの2人はほぼ米国で生活しているから外人だらけの大会に慣れきって平常心で臨めた。要は日本人アスリート達は昔から外人たちが沢山居る場所に場馴れしていない分、英語が標準語の空気に慣れていない分臆して実力が出ない。これはどの種目にも共通だ。海外で活躍する日本人選手を見るが良い。今回で言えばスノボの2人のほか女子スノボのパラレルで銀を獲った竹内智香、テニスの錦織 圭、サッカー・セリエAの長友、シャルケの内田ほかヨーロッパ・プロリーグのサッカー選手たち、米大リーグの日本人野球選手たち。その国の生活に溶け込み日本語の無い世界で日常を過ごし、インタビューに英語で答え、お米のおにぎりなど無くても充分国際大会で闘える環境を自分で造ったアスリートのみ世界のトップに行けるのだ。これらの事を考える時、アスリート自身にも世界を目指す基本中の基本が何であるかもっと自覚して良いと思う。


これには皆も知っている一番良い実例が目の前に在るではないか?大相撲の白鵬、日馬富士、鶴竜などのモンゴル勢を観るが良い。インタビューにも日本語をしゃべりチャンコを喰ってモンゴルからモンゴル食など持ってきて食べないで頑張ってトップに登っている。そう云う環境下に自分を置かない限りいつまでも世界は遠い存在のままだろう。