2015年4月18日土曜日

「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #106.」 ヴァン ヂャケットの社内エピソード、入社3年目で海外出張.その2.

 このセントルイスに滞在中、隣のアーカンソー州に在るシルバー・ダラー・シティへ日帰りでドライブした際に、本当のアメリカ中西部の佇まいを味わう事ができた。日本人等まるで居ない本物のUSAだった。途中スプリングフィールドという西部劇時代の町がそのまま発展したような1950~60年代のままの雰囲気を持つ地方都市に立ち寄った。そこのレコードショップでとても日本では手に入らないTOKENS(トーケンズ=ライオンは寝ているで有名)のオールディスLPを買うことが出来た。アメリカ中西部が自分にとって宝の山である事を知ってしまった。此れがその後2泊するナッシュビル(=テネシー州)でのレコード爆買いに繋がるのだった。
中西部のスプリングフィールドの町並み、車はまさに70年代。

「ライオンは寝ている」で有名なトーケンズのLP

 砂漠地帯と異なって回りに緑地帯が広がる中、ひたすら荒野の一本道を進む広いフリーウェイはやはりバックにイーグルスやドゥービー・ブラザースのカントリーロックが似合うような気がした。途中で入ったレストランでこれまたカルチャーショックを色々感じたのだった。セルフで自分がアイテムをチョイスして会計を行うレストランに入った時の事。とにかく皆食い物がデカイ!レタスサラダ・・と品名と値段が書いてあってレタスをそのまま半分に切ったものがゴロゴロ置いてある。ドレッシングは日本で言う「オタマ」で掛けるのだ。スウィーツにいたっては中華丼程の器一杯に色々な種類のアイスクリームが乗っていて、それに原色のドロドロ・シロップを目一杯かけるのだ。

 観ているだけで戻しそうになる代物だった。したがってスイーツは止めてデザートにメロンを頼む事にした。何故かこの果物だけは別に裏のほうから持ってきてくれる様だった。色々お客が触ると痛むからだろうか?で、ハーフ・オブ・メロンと書いてあるのを指差して頼んだ。
 暫くして出てきたものを視て椅子から転げ落ちそうになった。なんとトイレの便器かと思うほどの大きさの横長スイカが半割りになって出てきたのだ。大の男4人で掛かって食べても余る程だった。あの千疋屋の網の目に囲まれた高級メロンを想像していたのだが大失敗だった。

 また帰りの夕方、セントルイス近くの住宅街でバドワイザーのネオンが点いた酒場に若林さんの弟さんと一緒に皆のビールを買いに入った。木で出来た入口の階段を上がり、いわゆる西部劇に出てくる酒場のスイングドア(顔の部分にしかない小さなルーバーの両開きドア)をギギーッっと開いて中に入った時の事。店内に居た全員がそのままの姿勢で顔だけこちらを向け、足のつま先からてっぺんまでジローリと見つめられてしまったのだ。

 背の低い東洋人が、白人しか居ないアメリカ中西部の夜の酒場に登場した訳だ。英語はネィティブに近い若林さんの弟さんだったが、背が低く未成年に見えたのか、IDを見せろと言われていた。落ち着いて店内を見回すと全員ブルージーンを穿いた大男ばかりで、3人ほどはテンガロンハットを被ったままだった。それと髪に縦ロールを掛けた女性が数名居て、もう映画のセットのようだった。ホンキートンク・ピアノこそ無かったが’60年代のジュークボックスが置いてあって、スローなC&Wミュージックが流れていた。今だったら絶対にカメラを持って行って撮影したかった。
 幾ら青山のヴァン ヂャケットでウエスタンスタイルが流行っているからって、此処までピュアな生活に根ざしたウエスタンスタイルを視てしまうと、一部だけ真似したりうわべの雰囲気をパクるだけではオリジナルに対して失礼だと思ってしまった。
 色々この現地で思う所があり、此れ以降青山に戻ってもウエスタンスタイルは封印する事にしてしまった。
 
 セントルイスの後ニューヨーク経由でナッシュビルに入った。勿論ニューヨークはこの時が初めてで、これまた大興奮だったが、同時に色々失敗を重ねてしまった。まず最初に行こうと思ったのはカタツムリのようにグルグル巻きのグッゲンハイム美術館だったが、5番街を探しているうちに思わず対面に在る巨大なメトロポリタン美術館に入ってしまった。デカイだけに丸一日見て周り、物凄く疲れたのを覚えている。結局あのグッゲンハイムには行かず仕舞いで未だに足を踏み入れていない。そのほか、サウスポーという左利き専用のモノだけを売っている雑貨屋、ブルーミングデールス、メイシーズ、それに今と違って当時は著名探検者御用達のアウトドアショップだったアバー・コロンビー・&フィッチなどのデパートを視て回った。デパートのショーウインドウは夜になって再び出かけ改めて其のディスプレイを撮影をした。
つい入りそびれたままのグッゲンハイム美術館

 ニューヨークではセントラルパーク南端のEssex Houseという高級ホテルに2泊宿泊した。
多分相当高級なのだろう。今でも一泊一部屋$500はしているようだ。当時はまだコンビニでドリンク等を買い込んで部屋に持ち込む等と言う過ごし方には慣れていなかった為、若林Headにフロント(もしくはルームサービス?)に電話してオレンジジュースを頼んで貰った。
セントラルパークが一望のエセックスハウス。
 
 暫くしてノックの音がして部屋に入ってきたのは、大きなお腹が出っ張ったカイゼル髭のおじさんだった。手のひらを上に向けて指を立てた店屋物の蕎麦を担ぐ店員の持ち方で銀色のお盆を高々と掲げ、部屋のデスクに置いた。しかしそのジュースたるや銀色の装飾器にカキ氷が山と詰まったモノの真ん中に小さな小さな試飲用グラス程のコップに入ったオレンジジュースが乗っていた。アッと言う間にふた口で飲み干してしまった。
 周りのカキ氷に残ったジュースを掛けて飲みたい!と言ったら若林Headが言ったのは、ただ一言「ヤ・メ・ロ」
エセックスハウスのルームサービス、フレッシュ・オレンジジュース。

 ニューヨークでもレコード屋にはしっかりと行った。勿論本来の出張目的であるファッション関係のお店には丸一日を当てた。若林Headの案内でBrooks Brothers(=ブルックス・ブラザース)、J.PRESS(ジェー・プレス)、Paul Stuart(=ポール・スチュアート)、Ralph Lauren(=ラルフローレン)にはそれぞれ充分時間を掛けて店内を視て回った。勿論マドラスチェック満載のブルックスブラザースでは長時間ねばった。ちょうどあのTake Ivyでトラッドファッションとアメリカの文化風俗に感化されてから10年だった。



時代の流れと自分の願望が叶う可能性の実感と、達成した時の喜びを感じたのがこのBrooks Brothersの店内だった。この感覚はその後の人生に非常に大きな意味を持つことになった