2015年10月24日土曜日

団塊世代のための自費出版の勧め。 Recommendation of self-publishing for the baby-boom generation .

   一月ほど前に今年も日本自費出版文化大賞にエントリーした「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」が2部門で入選した事。同時に8月1日付けのこのブログで「連絡を頂いて暫くは「実はあれは間違いでした」という追っかけの通知が来やしないかとビクビクした。」と書いた。なんと!まさかそれが一部現実になった。実行委員会のほうから「2部門は間違いで1部門での入選となります・・。大変申しわけございません。」という。自分の無意識の予知能力に驚いてしまった。

8月1日付け当ブログ= http://yamasemiweb.blogspot.jp/2015/08/blog-post.html

 うっかりブログにそんな事を書いてしまったが為に・・・ではないとは思うが、若い頃だったら「ふざけんなよ!」と怒り心頭だったろう。しかし65年以上人間をやっていると自分でも驚くほどクールで「あーそうっすか、では既に送って登録した国会図書館ほかメディアなどその本を進呈した所のリストをお送りしますので、そちらから受賞は1部門でしたと訂正とお詫びを連絡してください。」と言って実行委員会への電話を切った。しかし呆れた話だと笑ってしまった。この手の文化財団というかNPOとしても組織体としてレベルが低すぎる。

 まさかとは思うが、バックに出版社も印刷会社もついていない完全個人レベルで執筆・出版するような本に、あまり高い評価をするなと委員の中から横槍でも入ったのだろうか?

 今回の「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」は、このブログに毎週末、土日に限って掲載し続け溜まった分、ネット上のブログを拾い読みするよりはるかに楽だろうと、学生時代のパートに限って、縦書きの印刷物にしたものなのだ。執筆・資料画像発掘・レイアウトも自分で行い、入稿デジタル処理のみ永年の親友でデジタル・フィニッシュのプロの染谷氏(プラス・エール主宰)に頼んだだけだから日本の出版界・印刷業界には殆ど貢献していないのももっともな話だ。自費出版文化賞の賞を決定する団体のスポンサーに一度もお金を落とすような造り方をしていないから、入賞を一つくらい減らされても致し方ないところかもしれない。
今回日本自費出版文化賞で入選を頂いた「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」

 野鳥の写真集・「江津湖の野鳥」「川辺川・球磨川流域の山翡翠」に引き続き3年連続で違うジャンルで入賞したのは非常に稀有な事らしいので、名誉と思わなければいけないだろう。 こういったアナログの出版物はパソコン・IT・ネット環境の発展と共にどんどん廃れて行くと思われて来たが、実は音楽産業界や物販・店舗販売ほどは退化していないという。
2013年から3年連続で入選を頂いた。


過去自費出版した野鳥関連の写真集(全て無償配布した非売品)

 これは何故か?人間特に日本人はその文化の発展と共に「文字」を読む・理解す習性は右からの立て読みだった。脳の構造がそうなっているのかどうかは知らないが、やはり横書きより縦書きをゆっくり自分のペースで読むことが性に合っているらしい。
 なおかつ縦書きの印刷物、特にエッセイとか物語の場合、読者が「話」の進行に合わせ独自に自分の頭の中に舞台背景や主人公の顔などを自由に想像して作り上げ、自分だけの世界でその「話」を映像的に具現化していくものらしい。だから、小説やエッセイには挿絵や写真が少ないのだろう。勿論実話的・記録的な話しの場合はこの限りではない。

 『団塊世代のヤマセミ狂い外伝』もネット上のブログ投稿では資料写真その他を多用している。ある意味証拠写真として、更には当時まだ生まれていなかった方が読む場合に備えて、言葉の説明だけではイメージできない場合の資料として掲載している。しかし、それがアナログの印刷物になった途端、絵や写真資料は邪魔なのだという事が良く判った。これは思いも寄らぬ事だったが、自分で本にしてみて校正のため何度も読んで知った事だった。

 ネットで野鳥中心のWEBサイトやブログを観ていると、羨ましいほどの珍しい野鳥の写真を山ほど掲載されている方が全国に沢山居る。毎日カメラを担いであちこち行かれているのだろうと思う。しかし、その画像はWEBサイトやブログで公開投稿するだけなのだろうか?もしそうであれば非常にもったいない事だと思う。

 此のブログのメインWEBサイト=YAMASEMI WEBの頭の部分でも説明したが、筆者の昔から仲良かった写真撮影仲間が3.11東日本大震災でたまたま沿岸地域に行っていて被災し、行方不明になったままだ。
 一人は祭りの写真中心、もう一人は山と高原の写真中心の優れたフォトグラファーだったが、パソコンの中に大量の画像データを残したまま逝ってしまったと思われる。

 双方とも家人はその後彼らのパソコンを触れず、そのままにしているという。このままだと、せっかくの良い写真が未来永劫世の中に出ずじまいのまま埋もれてしまう事になる。 彼らの撮り溜めた写真には筆者のような生態観察の記録画像と異なって、コンテストに入賞したり、カメラ雑誌で取り上げられたりするような、非常に芸術性の高い画像があるような気がしてならない。

 こういったケース以外にも、せっかく一つの道を追求し、自分なりに努力した結果を皆さんは我が子なり親しい友人に成果として残す事は考えたりしないのだろうか?

 芸能人や政治家のような厚かましい程の積極性は性に合わないという考えもあるだろう。しかし、自分の生きて来た証を、何らかの具体的アナログ記録で残す行為は非常に良い事だと思うが如何だろう。
 デジタルデータはあくまで電気信号がメモリーされて居るだけでバーチャル・つまり仮想の記録だ。コンセントを抜いてしまえば消え去るはかないモノだ。その点アナログの印刷物は入稿した原稿自体がデジタル・データで残るし、印刷物は手に持って人に紹介も出来る。
 野鳥の写真を撮られている方々は、是非ご自分自慢の撮影画像を写真集にされたら如何だろう?60ページB5サイズで印刷費1冊2000円程度から制作可能だ。

 つい最近も団塊世代の友達が一人でグレイハウンドという長距離バスで2ヶ月間アメリカを縦断した。その際の写真を簡単にまとめた写真集にしたのだが、1冊2000円くらいで10冊作成し大変記念になると喜んでいた。世界にたった1冊の自分の写真集をこの世に残す・・・どうだろう?

筆者と同い年団塊世代の野球狂いが、アメリカ大リーグの試合を追ってシカゴからマイアミまで長距離バス「グレイハウンド」に乗って2ヶ月間一人旅。勇気の要ることだが、その途中各地デジカメ撮影をした画像を編集・出版したもの。一生の記念になったと喜んでいただけた。既に次作を思案中とか。

 もし、「我も試してみたい!」と思われた方には、このWEBサイトのお問い合わせコーナーから相談を受けたまわろうと思う。好きでやっていることなので筆者自身は印刷実費以外頂くつもりは無い。