2016年5月25日水曜日

団塊世代の「旅」の満足とはいったいどのような事? Exactly what it is the satisfaction of the baby boomers?

  「贅沢をする」という事と「満足する」という言葉は似ているようで全然違うと思っている。贅沢をしても満足感を得られなかったり、質素でも、あるいは全然お金を掛けなくても満足感を得られることは世の中に数多く存在する。
 満足、すなわち満ち足りた感覚を得る為に、人間は一体どれだけの努力をしてきただろう?個々における満足感は比較できない。それぞれの人間により精神的満足度のキャパシティ、あるいは欲深さの尺度や単位が違うからだ。

 一方で贅沢という行為は一概には言えないまでもお金に糸目を付けるか付けないかなど、比較しやすいのは確かだろう。旅行、特に観光旅行などにおいて、よくこの「贅沢な旅行」などの宣伝文句がセールストークに見受けられる。しかし「満足な旅行」とは謳えない、それは受け手の満足感は他人には決められないからだ。

 JR九州ではないが、ななつ星という超豪華な列車で九州内を走りまくる「列車旅行」が話題になり羨ましがられたが、何と実に夢の無い、オリジナリティの無い旅なのだろうと思う。高価で予約が取れない「豪華な旅」を買って乗って他人を羨ましがらせるだけの為のモノ以外何物でもないと思う。コースはJR九州に決められ、列車内に主に泊まる。確かに鉄道ファンで豪華列車の旅が好きであれば、ある程度の「満足感」は得られよう?


 かく言う筆者も小学生時代から毎月列車時刻表を定期購入していたほどの鉄道マニアだったのでこの企画自体の魅力は少しは判る。しかし突き詰めて考えれば、あくまで鉄道は移動手段の一部。 乗ることそのものが旅のメインではないと思うのだ。それに九州の魅力は主要駅付近にはあまり無い事くらい本当の旅行通は皆知っている。ななつ星に乗って北九州門司のレトロ門司港を楽しめるか?話題の武雄市図書館を見学できるか?ランタン祭りのランタンで埋まった眼鏡橋を撮影できるか?

 要は魅力満載の雑誌で言えば目次だけ観る旅?映画で言えば大作の予告編だけをプレミアムシートで観るってことだろう? しかも、その豪華列車車窓からの景色って地元の朝の通勤列車から見える景色とどこか違うのか?実は全く同じなのだ。筆者は詐欺に近いとすら思っている。

 移動手段で移動した先で何をするか?何ができるか?が「旅」なのではないだろうか?弥二さん喜多さんの東海道歩きの旅とは時代も異なれば価値も違う。

 そういう基本的な「旅で満足感を得る・・」に最適の宿を人吉に見つけた。人吉に通って7年目、過去200泊した人吉でまだ一度も泊まった事の無かった老舗中の老舗旅館だ。たった五部屋しかない!しかしホテルで言えば全室がスウィートルームだ。

 蛍光灯が一本も使われていない!正目と板目の木板の日本建築の美を楽しめる!石造りなのにぬくもりを感ずる事が出来る!日本の建築基準をはるかに超えた贅沢な大きく広い空間を楽しめる!自然光を天窓、障子、ガラス戸を通して浴びられる。日本建築の持つ遮音性・遮蔽性を体験できる。
 夜になってもカラオケの音が聞こえて来ない。聞こえるのは風が木々を揺らす音、虫の声、鳥の声、遠くに球磨川のせせらぎの音。自然が障子の向こう側まで迫ってきている造りになっている。

 朝起きると、男衆が正面玄関回りだけの蜘蛛の巣を払っている。蜘蛛が巣を張るという事は虫が多いという事の証。虫が多いという事は野鳥が多いという事の証。自然が好きな人にはたまらない環境だ。宿の女将さんに聞いた話、遠方からのお客さんが、朝球磨川の土手に散歩に行ったら、一つの岩にヤマセミとカワセミが一緒に留まっていて感動した・・・そうだ。

 お髭の殿下がご存命だったら、真っ先にお勧めしたかった。なんでもっと早く泊まらなかったのだろうと悔やんだ。本物を知っている、あるいは自分で何かものを造り出せる人間にしか此処の良さ、凄さは判るまい?単に消費・比較だけを経験値で述べるだけの観光評論家だの旅行雑誌ライターに此処をぜひ評論させてみたい。「おもてなし」だの「本物志向」だの「大人の旅」だのを軽く使って論評しているライターになど判る訳がない。

 此処のオーナー氏は筆者と同じ団塊世代で稀有の建築プロデューサー。身に着けるモノ、身の回りのモノのセンスは東京でもあまり残っていない絶滅危惧種的人種。もう一人、同じく団塊世代で知る人ぞ知る球磨焼酎の老舗オーナー、自社の伝統と私有地を含む広大な地所の自然環境保全に全財産と命を懸けているチョイ悪洒落男が居る。

 何故、これだけのセンスの持ち主、しかも団塊世代ど真ん中が2人も人吉に生まれ育ったのか謎だ。齢60を超えてから出逢ったればこそ成せる業なのか?

しかし、この筆者と同じ団塊世代の洒落男2人!この二人がやっている事、クリエイティブしている実業は逆立ちしても筆者には無理!日々尊敬以外の何物でもない。バイタリティと行動力、他には絶対に無いオリジナルのモノを作り出す底力は、都会の広告代理店周辺で、横文字を並べて何か新しい切り口のビジネスジャンルを始めようとするような軽いノリとは訳が違う。すべてがリアルなのだ、妙な条件付きだとか、タラレバの類は一つも存在しない。

 訪れた旅人が、思わずうなってしまうような満足感を与えてくれる宿を二度にわたってご紹介したい。これは宣伝でも広報でもない。だから名前は出さない。ぜひ行きたきゃ、是非ご自分で調べてほしい。「おもてなし」だの「大人の旅」だの軽い使い古された旅行業界用語では到底表せない、麻薬のような「満足感」を感じる事が出来るだろう。此処へ泊まってみれば、費用対効果だの他との比較優越感だののせこい「お得感」などすっかり忘れさせてくれる。死ぬまでに一度は経験しておくことをお勧めしたい。

 まずは、建物の凄さ、室内居住空間の凄さ、裏方の仕事の凄さなどからご紹介。
球磨川本流のすぐ脇に建つ純日本家屋なのだが、中身は驚きに値する!

日本家屋の正面玄関がこれだけ長いスパンの空間を開けられることに驚かされる。
早朝、山男出身の男衆が玄関付近だけの蜘蛛の巣を払うのが日課。無益な殺生はしない。

中から見た玄関回り。

天然の樹木がふんだんに使われていて、館内はどこにいてでも木の匂いとぬくもりを感ずる。

奥の客室ブロックへの通り道、行く正面に大きな長持ちが置かれている。

これは江戸時代の商家大店の嫁入り道具らしい。青井阿蘇神社の賽銭箱と同じ家紋。

二階客室への明るく広く高いl空間。オーナーのセンスがこういう部分にも出ている。

決して玄関ではない!日本を感ずるもう一つの別な入口だ。

これ、各室のトイレのドア。正目と板目の融合に裏からのみ鋲を当て金具が非常に重厚。

厨房と食事場所をつなぐ通路。料理人がプライドを持って通る明るい空間だ。

この宿の裏に回って驚いた。天日で干された裏方の仕事道具は純日本伝統の生活用品だった。

続きをお楽しみに!各部屋、料理、その他・・・・。