2017年4月8日土曜日

団塊世代の写真撮影愛好家が師匠と仰ぐ佐藤秀明さんとは? With Mr. Hideaki Sato the baby-boomer respects as a master?

  近所の写真教室に通った方も、独学で自分の経験値・失敗を繰り返してきた方も「写真家・佐藤秀明」さんの事は良く知っている。よく言われる写真家とカメラマンの違いって何?

 答えは簡単だ、英語で考えれば良いのだ。両方とも英語にすればPHOTOGRAPHER(フォトグラファー)直訳すれば写真を撮る人の事。

 ただ、現在の様にデジカメでメディアにデータを収録すればパソコンを使用し、Photoshopその他の画像処理ソフトで幾らでも後出しジャンケンの様に画面を修正出来てしまう時代は、何を持ってカメラマン、何を持って写真家とするかなどいささか難しくなってきている様な気もする。
 昔は少しでも写真撮影を趣味としている者は、お気に入りの写真家の写真集を何冊も購入して魅入り、いつの日か自分でもこういう作品に少しでも近づければ良いなぁー、と思ったものだが、現在は殆ど写真集は売れないという。

 カメラ機能が向上し、パソコン機能が向上したため、手振れは無くなり、リタッチというより撮った画像を全く別物に変えることが、素人でも簡単にできる世の中になってしまったので「写真撮影の基本」を知らないまま高級機種のカメラをまるでバカチョン・カメラの様に扱い悦に入っている人種が増えているという。
※バカチョンカメラという言い方は決して差別用語ではなく、おバカな機械音痴でもちょんとシャッターを押せばちゃんと写る・・・から来ている。

 そんな中、このブログでカワセミの写真撮影のヒントなどを今連載中だが、直接的・具体的な話は平日に回して、今日は自分の写真撮影の先生に関して少しご紹介しようと思う。

 筆者が写真撮影を頻繁に行うように成ったのは、青山のヴァン ヂャケットというアパレル・ファッションメーカー(1978年倒産)の販売促進部で、実務で写真撮影が必須だったためがその理由だった。中学校時代から蛇腹のカメラ(=カール・ツワィス・スーパー・イコンタ)を駆使してSL中心の鉄道写真を撮っていたが、基本はそういう単なる趣味とは違って、目的がはっきりとした写真撮影を始めたのが社会人になった1973年頃からだった。
フィルム時代の歴代カメラ、Super Ikonta, Canon AE, Canon F1.

 ちょうど日本の広告写真が高度成長の波と一緒に伸びた頃で、広告需要が写真関係のカメラマン育成に大きな役割を果たした頃だった。巷では篠山紀信、立木義弘、横須賀功光、浅井慎平、繰上和美など、そうそうたる名前が広告写真の世界でもてはやされていた。ヴァン ヂャケットでもそれらの中から幾人かが広告写真カメラマンとして仕事をしていた。
 しかし、当時のカメラ専門雑誌などでもてはやされたり、週刊誌の表紙制作などで名前を挙げたカメラマンたちの作品を観る限り、自分が「いいなぁー」と見惚れる様な写真を撮る人は一人もいなかった。いずれもアヴァンギャルド・・・と言うか、女性の裸体で陰毛が写っているか否かなど、本筋とは違う部分で話題を集める「話題性」をキッカケにのし上がっていくような野心家ばかりだったのだろう。

 例えば篠山紀信さん、日本の有名なカメラマンの大御所だ。

例えば篠山紀信さん、女の裸と有名人を撮る事で有名になった。

今年横浜の写真展にも行ったが感動は無かった。

そんな中、片岡義男さんの角川ブックで眼にとまったのが「波乗りの島」という文庫本だった。勿論話も面白かったが、何といっても目を引いた巻頭のハワイの匂いぷんぷんの写真群が筆者を小さな文庫本にくぎ付けにしてしまった。

巻頭のこの見開きは1時間くらい魅入っていた事が有った。

 大切にもう一冊購入して、保存版にした。だからいまだに綺麗なまま持っているのだ。これ以降佐藤さんの写真集は必ず2冊づつ買って1冊は保存用、もう一冊は表紙が擦り切れる程見返すのがお約束になった。

 これ以降、佐藤秀明さんの写真集で学んだ事を肥やしに、随分自分の写真撮影に工夫を重ねた。何を言いたいかというと、写真の師匠というものは弟子入りして手取り足取り、直接あ~だこうだ教育されるのではなく。その作品・作風を観て盗み取る、真似から始まって自分なりの解釈・手法を創造するモノだと思うのだ。少なくとも筆者はそういう方法で今まで来た。
 もちろんプロでは無いからこその方法・スタイルだろうが・・・。
マウイ島のカフルイの街を遠くに望んだフキーパビーチ。佐藤秀明さんの撮影だが信じられないような超望遠で撮影されている。1970年代、まだウインドサーフィンなど影も形もない頃のフキーパビーチだ。

1987年大波でクローズアウトしたフキーパビーチ。筆者撮影だが、まさか佐藤さんが10年以上前に同じ場所を撮影されているとは思いもしなかった。
で、佐藤秀明さんから学んだもので一番重要な事は何かというと、「モノの見方」だった。撮影前の「何を撮るか?」「写真で何を言いたいのか?」だった。だから筆者思うに佐藤秀明さんは写真家というより演出家に近い方だと思っている。これは今でも変わらない。

 何をどう表現するかの次に、じゃあ光はいつの光が良いのか?どちらからどう当たっていれば良いのか?を考えるという算段だ。偶然ロケハンの途中で良いシーン、良い光があって撮れる場合も在ろうが、佐藤さんの頭の中には「こういう絵を撮りたい・・・」というプランが常時渦巻いているに違いないと思うのだ。

 具体的な話は次回に回そう・・・。