2018年1月13日土曜日

団塊世代が視た今年の正月の出来事。 The Baby-Boomer generation watched happenings of new year's week of 2018.

 筆者的には昨年末からドタバタしながら、あっという間に過ぎた年末年始の2週間。この間恒例のサンセット・ランニングも幾度か行ったし、重たいカメラを抱えて雪の信州など大自然の中へも行ったが、加速度的に過ぎる「時間」の去り行くスピードに、只々焦りを感ずる年越しであったような気もする。

 そんな中、団塊世代の筆者が気に成ったいくつかの事柄を、久しぶりの「団塊世代のヤマセミ狂い外伝・番外編」としてアップしたい。
 これに関しては述べている事に関する生撮り画像が有るとは限らないので、話だけになるかもしれないがご容赦願いたい。オリンピックの際のスノボ競技の画像は運営中自分で撮影したものだ。

 2006年から始めている年末恒例の干し柿づくりだが、今年はいつも送って頂く熊本豊野産の干し柿用渋柿(吊るせるようにT字型の枝付)が九州北部豪雨などの影響で手に入らなかったようで、四国産の大振りな渋柿を送って頂いた。柿そのものは種なしで非常に大きく甘い素晴らしいものだったが、筆者が早稲田大学の学会でヤマセミの生態に関して発表するので多忙であった事情もあり、剝いて吊るす作業がいつもより随分遅れてしまった。したがって、結構熟した状態で剝いて干したものも多く、柿そのものの重さに耐えかねて、柔らかい実のヘタの部分が枝と離反してしまう物が出てしまった。
更に今年は気温や湿度の変化が激しく何故か一個一個色が違ってしまった。

第1弾は非常に大きな柿だった。

第二弾は普通のサイズ。

今年は大きいので2個づつ包装

例年お世話に成っている恩師や高齢者に贈っている。気に入って45年以上通っている神田神保町のさぼうる・鈴木マスターにはこれで10年連続でお届けできている。

年末に完成して贈れたのは投稿都内在住の恩師の方々のみで、毎年原料の渋柿を届けて下さる熊本の大先輩にはギリギリ届くありさまだった。包装も不十分で恥ずかしい限りだった。

 第2弾として福岡県の農家からこれも例年買い求めている普通サイズの渋柿が完成したのは、正月も門松が取れてからだった。

 話は替わって、年末年始の報道で気になったのが、大相撲の一連の騒ぎだ。これは「大相撲」を国技、真剣なスポーツ、神技と考えて真面目に取り組んでいる貴乃花親方のサイドと、あくまでプロレスの様な見世物・興行(銭儲け)と考える古い体質の大相撲協会の理事達とその取り巻き評議員たち・モンゴルからの出稼ぎ相撲取り達の価値観の違いからくるモノだろう。

 まじめなスポーツととらえれば、本場所が年に6場所もある事自体多すぎるし、それ以外にも地方巡業がある事を考えれば、力士が怪我をしたらもう一巻の終り、いつまでも治らないのは自明の理。従って星の貸し借り。八百長が生まれるのも当然の事だ。
 この辺りを憂いた真面目な貴乃花親方が大相撲を協会含めて根本的大改革をしなければとの考えに賛同する者達と、頭の良し悪し、経営スキルの有る無しに関わらず年功序列・現役時代の力関係のまま出来た組織と既得権益とを守ろうとする現協会幹部の戦いなのだろう。
 
 話は少し外れるが、筆者は大手広告代理店時代(主に1990年代)、「事業本部スポーツ事業局」に籍を置き、スキーやスノーボード、ウインドサーフィンなどのワールドカップ・国際大会を数多く企画運営実施した。長野オリンピックでは史上初のスノーボード競技実施に向けた事前準備を、JOCとFIS国際スキー連盟の要請で広告代理店に籍を置きながら4年に渡って行った経験を持つ。
 本番のオリンピックではスノーボードの広報プレス担当競技役員を務めた。勿論自分でも本番の競技会ではスノボを履いて滑り、世界各国からの取材カメラマン・記者達のコントロールを行った。前々年度などの国内予選大会では時々必要に迫られて前走まで行った。(※アルペン種目)
ハーフパイプ会場現場では演技の邪魔になるカメラ取材などを規制した。

毎日数回行われる記者発表は優勝者の金メダルはく奪などトラブルの連続でごった返した。

広報・プレスルームはまさにメディアの戦場だった。IBMの上級ノートパソコンがまだ1台70万円程したころ。当時のモデルがまだ1台残っている。OSはWindowsNT4.0。

 オリンピック前・長野県飯山で行われたスキークロスカントリー・レースでは5kmの一番短いコースだったが、レースの前日生まれて初めて板を履いて300人中125位だった。当時49歳の初心者としては上出来の部類だろうと思う。

 しかし、この時強く思った事の一つに、スポーツの世界の団体の組織員たちの頭の中は種目問わず旧態依然としていて、現役時代の入賞記録や成績、つまりは昔取った杵柄をベースにヒエラルキーが出来過ぎていやしないかという事があった。

 昔、自分が栄華を誇った時代のプライドそのままに、頭の中は「脳みそ」ではなくて、それぞれの出身種目により畳表、泥、芝、砂、水しか入っていないのではなかろうかと思うような人間ばかりで、辟易したものだ。
 
 筆者が勤めていた大手広告代理店のスポーツ事業局管理職だった者達も同様、一般常識・価値観や判断力、業務遂行スキルにおいて他のセクションの頭脳労働者たちとはどうしても異なるレベルで呆れる事が多かった。
 このままスポーツ関連セクションに居ては、何のスキルも経験も身に付かぬと思い、セクション移動を願い出た。しかし上司は奇遇な事に大学時代の先輩で酒癖が悪く、人の話を聴こうとしない人間(筆者はサッカー部・上司はラグビー部、在学中いつもグランド占有競争でぶつかっていた相手だ)。古い体育会系丸出しの彼は社内のメンツもあり、大学の後輩が自分の元から出て行く事など許す訳も無かった。

 長野オリンピックが終了した後、社内の人事ルール(FA制度)に則り秘かに移りたいセクション(博展関連部門)のトップと話を付け、1対3という前代未聞の社内トレードでスポーツ担当部署から逃げるように部署を替われたのは1年後だった。今考えれば、その時移れなかったらその大手広告代理店はさっさと辞めていただろうとはっきり言える。

 話を大相撲に戻せば、貴乃花親方への大相撲協会の処分に関して行ったヤフーの意識調査で70%ほどの国民が「処分は不要」「処分は重い」と投票している。投票総数は40万票を越えているのだから疑う余地は無かろう?今や大相撲協会も池坊女史も「裸の王様」って訳だ。
YAHOO意識調査より

 年明け、恒例の明治神宮奉納土俵入りに関してのメディア観客激減報道もさもありなんという様だった。昨年は現場で生で観ただけに思いも深い。
テレビ朝日・モーニングショーより

 一方で、星野仙一(元野球監督)の死は団塊世代の多くが「明日は我が身」と大きなショックを受けた事だろう。あれだけ明るく(表向きは)健康なスポーツマンがガンを患い逝ってしまう現実に、筆者も週に数回行う夕方のランニングをしながら幾度も考えさせられてしまった。そういう意味からすると今年の年末年始は団塊世代の筆者にとって決して明るいモノではなかった。

 一昨年、人吉市郊外で猪に突進され軽いケガだけで危うく難を逃れた記憶が戻る様な記事もメールで頂いた。直接的なショックはこちらの方が大きかったかもしれない。クワバラクワバラ。
人吉の山奥で筆者に向かって来たのは、これの半分もなかったような気がする。