2018年4月22日日曜日

サンショウクイが営巣中のようだ。It seems that Sanshoukui (Ashy minivet)is nesting.

 出来たてホヤホヤの試作写真集「日光・奥日光戦場ヶ原の野鳥」を持って、東大日光植物園、赤沼情報センター、日光ビジターセンターを訪問。
 なんと!東大の日光植物園の受付に居た女性は薩摩川内出身だそうで、人吉市の山翡翠の写真集観た途端、「懐かしか―!」だと。思わず「どーぞ、差し上げます」と言ってしまった。

 赤沼のセンターはまだ開いてもいない、冬シーズンのまま、トイレも冬季閉鎖中だと!今日の奥日光22℃だっていうのにお役所仕事はこれだから・・・。
 天下の日光・奥日光戦場ヶ原の入口がこれで良いのか?何が観光大国だ。

 今日の奥日光は、腹立たしい事ばかり。詳細は明日東京へ戻ってからゆっくりブログアップ予定。東大日光植物園と日光湯元にあるビジターセンターでは写真集・大歓迎でどのように本番を造るかゆっくり話す予定になった。ひょっとすると初めて価格を付けて販売するかもしれない。これも詳細は後日。

 今日は日光エリアで繁殖中のサンショウクイの画像をご紹介。3時間観察したところでは最低3か所で営巣中のようだ。オオルリの声は聴こえたがまだ個体数が少ない。キビタキも姿を一瞬見た気がしたが、囀りまでは行っていない。

 今年は植物の開花は早いが野鳥の飛来は遅い様だ。

朝4時過ぎに三鷹を出て、陽が昇ったのは羽生SA。

日光植物園、東京の東大植物園で会員になると此処はフリーパスらしい。

奥日光の標高の高いエリアはまだ残雪が・・・。でも今日は22℃!2万5千歩でバテた。

サンショウクイが、ピリリリリ・・と鳴いているのを発見!

何度も同じコースを飛び交うので営巣中だと判断。

判で押したように定期便で往復していた、もうヒナがかえったのだろう。

こちらは別のつがい、より近くでの営巣らしいのですぐにその場を去った。

チョンチョン飛んで忙しなく動き回っていた。

夕方宿舎の周りでウグイスの鳴く声につられてカメラを持って出たらアカゲラに遭遇。


2018年4月21日土曜日

ついにガビチョウが三鷹の住宅街の電線で囀る! Finally the Hwamei began to sing in the residential area of Tokyo.

 ガビチョウという野鳥をご覧になった事があるだろうか?やたら大きな綺麗な声で囀るヒヨドリくらいの明るい茶色の野鳥だ。英語表記はHwamei、日本語では画眉鳥、中国表記は「画眉」。しかし英語ではMelodious Laughingthrush(メロディアスな笑うツグミ)という別名もあるくらい目立つ野鳥なのだ。

 けさ早く、犬の散歩中に三鷹の住宅街でここ数日前から聴こえていたガビチョウの声が非常にクリヤ―に聴こえてきたので鳴き声の方へ行ってみた。

 前日までは公園の樹の中で囀っているのは確認していたが、いつも持ち歩くコンデジカメラでも木々の中のガビチョウは撮れなかった。

 しかし今日は何と住宅街の電線に留まって大きな声で色々な野鳥の鳴き真似をしながら囀っていた。最初はシジュウカラのツーピーツーピ―といういつもの声がしていたのだが、異様に鳴き声が大きかったので???状態だった。要はガビチョウが附近のシジュウカラの鳴き声を真似ていたのだ。サンコウチョウやウグイスの鳴き真似をすると聞いていたがシジュウカラの鳴き真似をするとは知らなかった。たぶん、近所で普段一緒にいるシジュウカラを覚えたのだろう。三鷹にはサンコウチョウは居ないからいる野鳥の声を聴いて真似るのだと思う。

 このガビチョウ、一番最初に聴いた(視た)のは静岡県富士山麓の田貫湖畔だった。その他、富士山麓、三鷹の野川自然観察園、南は南阿蘇の野草園などでも撮影している。東京立川の昭和記念公園にも低灌木の間を行き来する姿を撮影しているが、明るい陽の当たる所にはなかなか出てこない。
 基本的には藪の中を移動し、ウグイスに似た生態の様な気がする。しかしウグイスが虫や蜘蛛を餌にするのと異なって、此のガビチョウは地上に落ちている草木の種子を啄ばむ様だ。昭和記念公園では採餌のシーンが撮れている。
三鷹市の住宅街の電線で15分ほど頑張っていたガビチョウ。

眼を観ると、完全にエジプトのツタンカーメンあたりと親戚関係だろうと思う。

やたら筆者の方をのぞき込んで視ていた。

筆者初見の富士山麓田貫湖のガビチョウ

初めてのこの時は、その綺麗な鳴き声に1~2時間付き纏ってしまった。

熊本県南阿蘇野草園のガビチョウ

ガビチョウも飛ぶ際には鳴かない。

こちらは三鷹の野川自然観察園でのガビチョウ


地上の木の実をついばんでいる。

結構一生懸命採餌していた。

レンズを向け続けていると、ナーニ?とガビチョウが言って来た。








 

 

2018年4月20日金曜日

ウグイスの撮影に挑戦してみよう。 Let's challenge to photographing Japanese Bush Warbler.

 ウグイスは英語でJapanese Bush Warbler、もしくはJapanes Nightingaleと呼ばれており、主に日本とサハリンの一部でのみ生息する分布エリアの狭い野鳥だ。ヒヨドリと同じく外国から来るバーダーが好んでウォッチングしたがる野鳥の一種だ。

 日本各地に留鳥で居るが、春先の囀りは少しづつ違う様だ。筆者が良く行く熊本県の人吉エリアでは何と通年で囀っていたりする。もう真冬に近いという12月初旬に「ホ~ケキョ」と短めに細い声で囀っていたりする。

 本来ムシクイの仲間なので藪の中をチョロチョロしながら虫や蜘蛛を食べているようだが、南九州では寒い時期も人目に付く明るみにチョロチョロ出て来たりしている。

 したがって撮影したければ南九州へ行った方が撮影チャンスは多いと思われる。
 奥日光でも4~5月の繁殖期にはやたら囀りまくっているが、湯の湖の界隈で盛んに啼いているのを聴くことが多い。この「啼く」という漢字は主にウグイスが鳴く場合にのみ充てる字だと教わった事がある。

 奥日光では湯川沿いに水際を出たり入ったりしているのに出くわすが、木道から対岸の水際のウグイスを撮影するには少し慣れが必要かもしれない。赤沼から500m程の辺りが撮りやすいと思われるが暗いので要注意だ。 
八代市の金剛干拓でウグイス。

奥日光湯元で、画面中央下の黒い点はウグイスの糞。

人吉のウグイス。

奥日光戦場ヶ原湯川沿いのウグイス。

4月の奥日光湯元のウグイス。

同上、湯滝最上部のウグイス。

戦場ヶ原中央部の草原でウグイス。


2018年4月19日木曜日

東京上野の不忍池情報4月19日。 This is Wild-birds information from pond of Shinobazu Ueno area.

 今日の東京は昨日より8度も高い22℃。春先は気温の上下が激しく、日中差もあるので体が怠く感じられる「春バテ」に成りやすい。

 これは人間のみならず、動植物に色々な変化を来たしている。花の開花時期が混乱しているのもその一つ。シャガという花は例年だと5月連休に咲く花なのだが今年は既に満開。今日青森で梅と桜が同時に開花したそうだ。

 東京国立博物館で「名作誕生展」を鑑賞した後、上野の不忍池にいつもの季節観察に降りてみた。イメージ的には不忍池に年中いるユリカモメも夏羽に変化しつつあり半数以上の顔が真黒(正確には濃茶~黒褐色)に変化している。勿論ブチもいるしまだ変化しないのもいる。

 東京ではお台場へ行く交通システムの名前に成っているので、誰でも知っているが、ロンドンの王立植物園キューガーデンでもこのユリカモメに出遭える。

 ユリカモメ以外では、ホシハジロ、キンクロハジロなどがまだ居残りでウロチョロしていた。
夏羽への変換の様子を手の届く距離で一気に観る事が出来る。

観光客の撒餌に飛びつくユリカモメ。

コンデジで撮ったら偶然こんな場面が撮れた。

不忍池のカモメは人慣れしたDNAを親からもらっているようだ。

名物の蓮はまだほんの一部新芽・若葉が出ているだけ・・・。

あと1~2カ月も経てばびっしり蓮の葉で覆われる。

不忍池といえば六角堂がお約束。

居残り組のホシハジロ。目ん玉が真っ赤!

こちらは英国ロンドン、王室植物園キューガーデンのユリカモメ。

東京国立博物館で野鳥の絵を楽しむ。やはり伊藤若冲は凄い!

時間が有ったらご覧になる事をお薦めする。5月6日までしか展示されないものもあるので要注意。

2018年4月18日水曜日

武蔵野の野川で越冬したらしいクイナが元気だ! Water rail seems good condition which overwinter at Musashino Nogawa !

 写真について色々な自分の考え方を思うがままにこのブログで述べたら、なぜかアクセスがヤマセミや他の野鳥の日より多かった。とても嬉しいが、少し微妙な感じでもある。丹精込めた料理を出したら器を褒められたような感じに似ているだろうか?

 今日は普段の野鳥のレポート。昨年から気にしていて、週に数回走る野川サンセットランの時に5分程度立ち止まって居るかいないか観察をしていたクイナが元気な姿を見せたので、そのレポート。

 相変わらず、走る際はいつもデイパックに入れているコンデジ(=Canon Powershot SX710 SH)での撮影なので、デジタル一眼のようには鮮明で無いが・・・。

 繁殖期を迎えてなのか、春だからなのか動きがいつもに増して素早い。真冬に比べて水位の高い野川を泳ぎ対岸に渡ったが、戻る際は水面を飛んで戻った。クイナが飛ぶ姿はなかなかお目に掛かれないそうだ。勿論コンデジで薄暮の時期に飛んでいる姿を捕らえるのはまず無理。
いつもより水位が深い野川、水かきの無い脚でクイクイ進んでいた。


こうして茂みの中に入って水際を移動するのが得意だ。


人吉で出遭ったヒクイナもこういうポーズで良く立っていた。



このクイナと同じ仲間が絶滅危惧種として沖縄に居ると思うととても面白い。


 


 

 

2018年4月17日火曜日

団塊世代は良い写真って何?という疑問を持っている。 Baby-boomers think about what kind of photograph is good ?

 この項最終回は、団塊世代が考える「良い写真」って何だ?

絵を描くにしろ、写真撮影をするにしろ「上手い、下手」は当事者のセンスや努力について回る因果応報だろう。努力すれば報われるだろうし、神経を研ぎ澄ましてセンスを磨かねば良い結果は得られないだろう。
 しかし、この「上手い、下手」はなんとなく己の技量・腕と比較すれば判るものの、「良い、悪い」と言われてしまうとなかなか納得できる批評を聞いた事が無い。一体何をもって、何を基準に「良い写真、良くない写真」を区別されているのだろう?

 ここからは筆者の独断と偏見で述べて行くので、「んな訳ないだろー?お前オカシイんじゃないの?」と思われた方は、別の心地良いサイトへ移られるようお勧めする。

 「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」の大学在学中のエピソードにも書いた事があるが、筆者は写真撮影の際、写す対象に関して光や色より圧倒的にシャッターチャンスを最優先する。その理由が「写真には絵画に出来ない一瞬の素晴らしさを記録・表現できるから・・・。」という理由がある。

 このブログでもシャッターチャンスを重要視する記述が多いので、なぜだろうと思われたと思う。
 これは大学時代の絵画・油絵の単位を危うく取り損ねそうになった或る事件が発端なのだ。

 大学の教育学部美術専攻科に在籍中、油絵の教授から「シンジョー君は人物を描かないが何故かね?きちんと人物を描かなければ単位は上げられないよ!描かないまっとうな理由でもあるのなら話は別だがね・・・。」と言われてしまったのだ。

 3日間の猶予の後、全学年の美術科学生のいる前でその理由を述べる一種の裁判の様な集会が開かれてしまった。そこでこう述べた。「人間を描けない理由を説明します、人間が美しい・魅力有ると思える時はどんな時か・・・大口を開けて笑っている時、感動のあまり泣いている時、怒髪天を突くような怒りの時、つまり感情をあらわにしている時だと思う・・・・しかし歴代の名画にそんな絵が有るか?せいぜい笑っているか否か問題になるようなモナリザが精いっぱいではないか?


 何故、歴代の名画に無いか?それはそういう瞬間をモデルに求めることは不可能だし、一瞬の筋肉の動きや目の表情のナセル事だから水彩画や油絵で描く事自体が難しいのだと思う、したがって僕はそういう人物を描写するには「写真」という方法が一番適していると思う。昔は写真と云う技術が無かったので必要上肖像画や似顔絵という技術が発達したが今は中世ではない。写真も美術の一種だと思う、それが一番生かされるのが人物描写ではないかと思う。だから僕は描かない・・・。22歳にしては生意気だったとは思うが、今でもこの考えに変わりはない。


 その後69歳に至る今までいろいろ考え、学んだ結果を加味すると、そもそも写真というモノの無かった時代の絵画は「芸術性」より「実用性」の用途の方がはるかに高かった。今でこそ芸術と言えば、絵画・デザイン・彫塑・建築・音楽・踊りなどに「写真」が加わっているが、写真が無かった時代には絵画が写真の代わりを果たしていた。

 つまり、ポートレートの代わりに肖像画、銅像のようなもの、文字を読めない一般大衆の為に宗教を説くための宗教画(教会の壁画や天井フレスコ画など)。観光地を宣伝するための風景画(都市・港など)現在写真で伝達されている色々な情報を「絵画」という手段、TOOLで伝えざるを得なかったのだ。

 色っぽい所では、江戸末期の浮世絵の男女画がポルノ写真に替わるなど目的に応じて絵画も写真もツールの一つであるのは今も昔も間違いない。
 例えばこの5月6日まで恵比寿ガーデンの東京写真美術館で開催されている写真展「写真発祥地の原風景 長崎」でも稲佐山から観た長崎湾の風景写真やグラバー邸などの似た様な写真が豊富に展示されているが、これを見ても風景や佇まいを記録し情報として人に伝える意味の「絵画」から「写真」への過渡期を知る事が出来る。

 この様に描かれた絵画が「写真」の発明、発達で徐々に実用ツール⇒芸術領域へとその目的・存在意義が変わらざるを得なかったのだろうと勝手に考えている。だからこそ具象画(印象派あたりが最終期だろうか?)が、点描による表現の絵や崩したような具象画、あるいは抽象画へ変化し、写真のような絵画がどんどん減っていったのだろうと思う。

 写真がまだ発明・普及していなかった時代に、ポール(パウル)・クレーやカンジンスキーの絵が果たして評価・理解されただろうか?
 
 これらの事から総合的に考えてみれば、「良い写真」というか、筆者の思う好きな写真は「絵画」では表現できない「被写体」を撮る事こそ写真の真髄に近いのではないだろうかと思うのだ。

 この考えで写真撮影に接してきて一番衝撃を受け、好きなのが国際写真家グループMAGNUMに属しているフィリップ・ハルマン(ラトビア生まれ1906-1979)が女優・男優・科学者など著名人を愉快にジャンプさせて撮影した一連のジャンプシリーズだ!
MAGNUMに掲載されているフィリップ・ハルマン氏

色々なジャンプ写真を収録した写真集。

有名な女優さんが皆歓喜の表情でジャンプしている。これは決して絵画では表現できまい?

 考えてみればわかるだろう、マリリン・モンローがジャンプしている瞬間をその楽しそうな表情含めて絵に描けるか?マリリンではなくて普通のモデルさんだって「飛んで?」と頼んでも10回飛べるだろうか?

 作家はモデルが飛んでいる瞬間を自分の脳裏に焼き付けて置いてスケッチを描き、習作を幾つも経て最終作品に至るのだろうが、写真であれば数回シャッターを押せば済む話だ。

 つまり、写真でしか表現できない「その一瞬!」を撮るのが写真として素晴らしい作品(=良い写真)になるのではないだろうか?しかしこれは数千分の一秒に限った事ではない。定点観測で4人兄弟が0歳から50歳に至るまで毎年1回揃って撮影した生い立ち記録写真がアメリカにある。これなども絵画で行えばとんでもなく大変だろう。

 佐藤秀明さんのあの9.11で崩壊したNYワールドトレードセンターが1960年代後半、建って行く過程を撮り続けた画像などは絵画では絶対に出来ないだろう。

佐藤さんの撮った画像はそのまま歴史の一瞬を記録した貴重なものなのだ。