2018年4月16日月曜日

団塊世代の写真撮影愛好家・カメラ好きは多種多様。 There are many kinds of photographing freaks in baby-boomers.

 昨日のこのブログへのアクセスが多くて、共感してくださった方が多かったようで非常に嬉しい。皆さん興味を持たれていると思うのと共に、この項続けて欲しいとFacebookでもマミヤ67やヤシカ愛用の友人から要望が在ったので今日もその続きを・・・。
マミヤ67

 昨日は写真撮影愛好者の写真・並びに写真機、つまりカメラに対する嗜好はパソコン使用者の傾向に似ていると述べた。いわゆるハード派とソフト派だ。

 話は逸れるが男性の女性に対する目の付け所、女性の男性に対する嗜好と同じだとも言える様な気がする、もちろんこれは筆者の独断と偏見によるもので、決して調査による結果ではない。
 つまり外見で判断(一目惚れ)するか、じっくり接してみて使い勝手(機能)や性格を判断するかの違いではないだろうか?いや決して厭らしい意味ではない。

話は替わって何かと通ぶったり自慢したがる人について・・・。

 業界メディア(紙媒体・ネット媒体含む)の批評・講評、著名写真家・カメラマン、あるいは一目置いている批評好き仲間のコメントなどを鵜呑みにして、新発売の高級機を買い込んで、碌に使い込んでも居ないのに「やっぱり良いよね?」と通ぶったりする自称事情通をよく目にする。


どうしてこうなるかは、はっきりとしている。褒めて欲しいのだ。「凄いね?詳しいね」と言われたいのだ。大人数の中で目立つ努力をし、闘って来た団塊世代だもの、何をするにも褒めて欲しいのだ。

 写真撮影ファンのほとんどはコンテストで上位入賞する作品、誰もが驚く凄い写真を撮る自信がない為、持つカメラの凄さで羨ましがらせたり、ちょっとかじったカメラ知識で褒めてもらう傾向が強い。つまりお金さえ出せば手に入るステイタス、情報を誰よりも早く仕入れる事で得られる自慢事、つまり割に簡単に手に入れられる「褒められ事」なのだ。

 しかし、数多く新発売されるカメラ情報や使用評価・インスピレーションはメーカーによって千差万別。製造型番・品番により特徴は更に細かく異なる。果たして新発売の製品のこれらを自分で把握し駆使できるようになるまで、どれくらいの撮影チャンスと時間が必要だろう?

 ましてや、ミラーレスと普通のデジタル一眼、コンデジの特徴やメリット・デメリット、撮れた画像の差を比較出来るほど写真撮影の技術、経験、あるいは比較使用実績が皆さん在るのだろうか?

 いつも球磨川流域・人吉エリアで同じヤマセミの撮影を8年以上続け、15万カット以上同じ様なヤマセミや野鳥被写体を撮影してきた筆者ですら、遠くに居る野鳥を撮影するにはフォーサーズ、ABS-Cクラスのカメラで5~600mのレンズを付けて撮るより、300m程度のレンズでフルサイズの機種の方が鮮明な画像を撮れる事が、実感として判るまで3~4年以上掛かっている。同時にカメラボディが新しい機種に替わったとしても、撮れた画像にそれ程大きな変化を感じた事がない。鈍い筆者がいけないのだろうか?
 これらも撮れた画像で写真集を何冊も出した実務経験あっての意見だ。数回カメラを使用した程度でその良し悪し・比較評価を語れる人が信じられない。

 ましてや、ろくに自分で撮影などしない大手量販店のカメラコーナーの販売員の上から目線で得意げに話す製品に対する蘊蓄・セールストークなど、とてもでは無いが信ずるわけにはいかない。

 しかし、秋葉原のあるお店で販売員さんが自分で撮影した野鳥写真を売り場の上にパネル化して掲載しているのに出会ったが、やはりそれ程の経験値と実務力を提示してもらわねば信頼できない。

 その一方でカメラの機種やグレードはそう大して気にならない、その代わり何を撮るか?に非常に神経を使い準備に時間をかける・・・という方が確実に存在する。「弘法筆を選ばす・・」という例え通り、プロの写真家、カメラマンは圧倒的にこちらが多いだろう。
 こういうタイプの人はきっと絵を描いても上手だと思われる。つまり自分自身、作品の狙いや意図を上手く表現するためには、どうしたら良いかを真剣に考え工夫、試行錯誤で努力していると思うからだ。

 人間を描けと言われて過去の有名画家の絵を一生懸命真似るのは良く居る普通の人。写真も同じ、只有名な写真家の作風を真似して、似た様な写真を撮るのが一般的な風潮だろう?

 しかし人間の骨、上腕骨(肘の上の骨)と橈骨(とうこつ=肘から手までの骨)の長さの違い、あるいは大腿骨(だいたいこつフトモモの骨)と脛骨(けいこつ=ヒザから足までの骨)の長さの差と曲がり方を調べ学んだ後に描き始める人こそ、写真の場合においても何を撮るかに準備と時間を掛ける人こそ、つまり=本物のクリエーターという事だ。
大学の美術専攻科では人物を表現・描写するにはまず骨格から学べと教わった。クロッキーもまずはガリガリのモデルさんから徐々に肉付きの良いモデルに変わる。

 世の中には数多くの有名な写真家・カメラマンが居る。それなりに作品を残し尊敬され、色々なメディアで誉めそやされ、多くの写真撮影ファンに憧れられている。
モノクロ写真なのに色と色気両方を感じさせる写真家。木村伊兵衛

素人にも写真家の訴えが響く作品。ユージン・スミス。

撮る側に回ったらその下調べ・ロケハンの大変さが判る写真家。佐藤秀明。

圧倒する事実が伝わる写真。麦島 勝。

その時代の生き証人でもある写真家。麦島 勝。

 これらのプロの方々は、メディアに載る載らないは別として、同じ撮る立場に立つ誰もが心打たれる写真作品を数多く発表されている。筆者の学びたい写真家は全てこのジャンルの方々だ。しかし、その一方で・・・。

 誰もが知っている人気の芸能人などを撮影し、コマーシャリズムの時流に乗って名を挙げた写真家もいる。若くて綺麗な女優なんて、誰が撮っても綺麗だと思うのだが・・。あるいは、当時まだご法度だった陰毛が写っているかいないか卑猥な作品を発表し、メディアの注目を浴び有名になった写真家もいる。
あるいは首のない人間の写真が出世作という写真家もいる。

 どんなプロを手本にし、その作品を真似て自分のスタイルを造り上げようが個人の自由だし勝手だと思う。
 しかし「何をどうやって撮り、何を感じさせたいのか?」という普段からの自分の理念と主義をしっかりと持ち、それを実現させるために、見えない所で常に周到な準備をとっているプロ写真家の行動を学んでこそ、身に付くものだと思うが如何だろう?