2018年5月27日日曜日

団塊世代も歳をとると色々ちぐはぐな事が起こるのだ。 There are many kind of people in Baby-boomer generations.

 この週末は久しぶりに「団塊世代のヤマセミ狂い外伝シリーズ」だ。今日のブログはこの5月4日から自分の車を運転して東京ー人吉を往復。大阪ー新門司の片道はWifiの繋がらない阪九フェリーに乗ったが、帰りは全行程・高速を使って合計3,220kmを走破。昨年より370km多かった今年の行程、日数も23日間、つまり3週間ちょっとという長丁場だった。

 そのツアーの詳細と画像レポートは、画像処理後少しデータを精査・改めてこのブログでご披露する予定だ。

 今日の話は野鳥関係、クラスメート関係で団塊世代に限らず計16名を超す多くの方々との交流がきっかけで色々な事を考えた事がベースに成っている。勿論、団塊世代のヤマセミ狂い外伝のネタを思いつくヒントに成ったという事で、お断りしておくが決して出会った方々の事を論ずるわけではない。

 筆者は広告代理店関係の仕事に長い事従事してきたせいか、職業病だと思うが、物事を進めるにあたっては常に先を読んで物事を進める、更には無駄を極端に嫌う癖がついてしまっている。同時にプランは2~3通りは用意するのが当たり前、ちまたでよく使われる、お勧めの方法プランAがダメだった時のプランBを、更にはプランCを必ず用意しておくという事だ。これは仕事に限らず生き様、普段の生活にも深く影響を及ぼしている。

 理由はいくつかあるが、コミュニケーションのスピード、正確さに関してはプレゼンの締め切り、公共関係の書式の厳しさ、届け出の締め切りの厳格さなど、「約束事」が非常に多く、またそれが千差万別だったりする事への対応を行わねばならなかった仕事の性格が下地に成っているのだろうと思っている。

 こういう環境に加え、更には東京と九州の小学校4校、中学校2校を転校して渡り歩いた子供時代の「実体験」が、「世の中には【普通】という普遍のモノは存在しないのだ。その地方・地域毎で価値観は違い、ローカルルールや生活習慣をベースに、正しい事もそうでない事も各地域で異なるのだ・・・。」という事を体で知ってしまっている。
 更には広告代理店時代通算2万枚に成らんとする名刺の重み。其れだけ多くの人と接して「普通の人」に該当する人など一人も居なかった事を良く知っているからかもしれない。

 小さい時から同じ所で生まれ育ち、近所の仲間もそうである事の多い一般の人々がこう言う事実に気が付くのは、大人になり色々な所へ出て、色々な職種の人々との異業種交流やメディアの報道で世の中を知る事になるのだろう。一方で生きている間にずーっとそれに気が付かないままで居る人も結構多いのだろう。

 ややこしい話に聞こえるだろうが、人間70歳近くに成ると色々な性格・価値観を持ったタイプに人間になっていく。歳をとる事で頑固になると余計それが強調されるのはご存知の通りだ。

 ここで筆者が気に成った自分とは違うタイプのご紹介をしてみたい。

■自分の物差しでしか物事を観ない・理解・説明しない人

 例えば、待ち合わせをしていて携帯端末で「あとどのくらいで来られる?」と問うと「ゴメン!もうすぐ着くから、」という返事しかしない人。具体的に、「あと15分くらい。」だとか、「今新宿通過だから、15分で確実に東京駅に着けます。」など具体的な場所や時間を言わない、あるいは言おうとしない人がいる。

 待っている方は先が読めない。15分あればトイレも行けるし、ちょっと気になっていたエキナカのお店も覗けるだろう。これが出来ないのだ「もうすぐ着く」では。 「もうすぐ」ってどの位の時間だと思う?と30名くらいにアンケートを取ってみれば判ろう。千差万別のはずだ。

 モノを表現するにも「とても広いんだよ!」だとか「メッチャ重いんだ」とか、自分の受け取った感じで全てを伝えようとする人。具体的にサッカーグランド位、だとかバレーボールコート位とか説明できない。人間一人くらいの重さ、柴犬ほどの重さ・・など相手が理解しやすい「例え」を説明の中に入れない。つまり係数単位を使えず感覚表現しか出来ない人々。これはなかなかつき合い辛い。

 量やサイズの単位や誰もが理解できる例えで説明できない人と同じで、「味覚」に関して説明の出来ない人も多い。
 広告代理店時代によくあった話。昼休みランチに向かう際、同じプロジェクトルームのスタッフに「さあ、ランチ行こう!何を食べたい?」とレディ・ファーストで女性陣に訊くと、中に「美味しいもの!」と真っ先に言う人が居た。この神経が未だに判らない。

 「美味しいもの」は人によって千差万別だろう?筆者は人間の味覚、美的感覚、笑いの感覚は人によって異なるからこそ面白いのだと心得ている。

 同じ様な例えで、若い女性にどんな相手(男性)が良い?と訊く(アンケート)と「優しい人が良い!」という返事が一番多かった時代がある。その優しいってどういう事?誕生日や何かの記念日に花やケーキ、あるいはプレゼントをくれる人?いつも女王様のように気遣ってくれて優しい言葉をかけてくれる人?

 「それって、単に貴女にとって都合の良い人ってだけじゃん?」と最近{バカ論」で話題になった北野 武が一発で判る明快な解説を当時していたのを想い出す。小気味よかった。
筆者と同じ考えの部分が多いので非常に気に成っている。

 一方で、口数も少なくシャイでぶっきら棒だけれど、いざという時に重い荷物を持ってくれたり危険から身を守ってくれる。あるいは本当に困っている時に相談に乗ってくれたり、手を差し伸べてくれる人が最高だという女性もいる。さてどちらが本当に優しいのだろうか?たぶん利口な女性の事だから、上手くこの双方を使い分けるのだろうと踏んでいるが、如何だろう?

 週末日曜日の夜、団塊世代の爺たる自分の場合は?と考えてみるのも良いかも?